村上の三面川と鮭
秋と言えば鮭!
今年も「鮭のまち」村上に
待ちに待ったシーズンがやってきます。
なぜ村上が「鮭のまち」なのか。 それは、村上の人々が
古くは平安の昔から鮭とともに歩んできたからです。
村上市内を流れる三面(みおもて)川は
古くから鮭の遡上する川として
地元に豊かな収穫をもたらしてきました。
しかし自然に頼る鮭漁はやはり不安定なもの。
そんなとき、安定した漁獲高を保つための
画期的な方法を考え付いた人がいました。
江戸時代の村上藩士・青砥武平治です。
鮭は必ずその生まれた川に戻ってくる。
いわゆる鮭の「回帰性」と言われる本能を ? 世界で初めて発見したのがこの青砥武平治でした。
彼は帰ってきた鮭が安心して産卵できるよう、 ? 三面川に産卵のためのバイパス、
すなわち「種川」を作って鮭の産卵を助けたのです。
「種川の制」とは、川に分流を設けて、そこに鮭を導き、
産卵させ、産卵が終わるまで禁猟とした鮭の自然ふ化増殖システムです。
青砥武平冶以来、「種川の制」によりサケは次第に増え、
豊漁がつづき、村上藩に納める運上金も最初は40両程度でしたが
1800年頃には1000両を超えるまでになりました。
これが村上藩の財政に寄与いたしました。
この世界初の人工ふ化増殖システムは ? 見事に功を奏し、
前にもましてたくさんの鮭がとれるようになりました。
村上市では青砥武平治生誕300年祭を
平成25年11月9日(土曜日)、11月10日(日曜日)に開催します。
江戸時代にこのように積極的に、鮭の増殖に力を入れた川は、外にはありません。
その後村上では、明治11年アメリカの孵化技術を取り入れた日本初の人工孵化に成功。
減少していた鮭の遡上数も、明治17年に73万7千378尾を記録するまでに増えました。
これは、単一河川では日本の最高記録になっています。
獲れた鮭から採卵をして、白子をかけ受精させ、育養所と県の孵化場で育てたり,
県内の各孵化場に受精卵を送るなど、三面川は文字通り県内の鮭の親川と言えます。
現在、鮭の遡上数は2万9千24尾で放流数800万尾ですので回帰率は0.2~0.3%となっています。
お米のとれない年には
鮭によって命を救われてきた村上の人々は
鮭を心から愛し、
少しも無駄にするまいと
さまざまな調理法を開発しました。
今でも村上には この地独特の鮭調理法が100種類は存在すると
言われています。
【越後村上うおや】でも人気の鮭製品は
その代表的なもの。
地元の伝統と老舗の技が光る絶品・美味を
今年も全国の皆様にお届けいたします。